なでかたジョンの雑記

元中国語学専攻の元同人作家兼元踊り手の、元も子もないブログです。

敢えて今、姫プリを考える。(2)テロリズムとプリキュア

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第42話終わりのシーン。最近ようやくこの展開を前向きに捉えることができるようになってきました。

 

はいどうもごきげんよう、なでかたジョンです。

何事も間が空いてしまうと続かなくなってしまうので、テンポよくいきたいと思います。

前回ははるはるの夢についてお話ししました。その続きです。早速始めます。

 

ジェンダーについて

1年前は散々うだうだ言っていましたが、今は「別に気にしなくてもいいか〜」と考えるようになりました。というのも、ジェンダーという観点からの批評というものが、近代文学にしか有効でないということを学んだためです(千田洋幸『ポップカルチャーの思想圏』(おうふう)を参照)。社会全体に共有されるべき「大きな物語」を描き得ない時代において、政治的なジェンダーの観点から作品を批評しても自己満足で終わってしまうということです。女の子が観るアニメがプリキュアしかないわけでもありませんしね。よってこの話はおしまい。ちゅんちゅん。

 

プリキュアが闘う意義について

こっちが今回の本題です。まだ「これだ」という結論は出ていませんが、現段階で考えていることを話していきたいと思います。

まず、「プリキュアが闘う意義」と言う時に僕が何を問題としているか、誤解が無いように説明しておきたいと思います。ここで問題とするのは、(プリキュアシリーズ全体ではなく)『姫プリ』という1つの作品の中において、主人公がプリキュアに変身して、人々を救い世界を守る必然性がどこに見出されるのか、ということです。少なくとも、「それがプリキュアだから」という製作側の都合の問題ではなく、寧ろその製作側の都合によって生み出された物語の構図を、我々がどのように解釈し得るかという話です。これを明らかにすることによって、冒頭に挙げた第42話で、なぜきららは自分の夢を犠牲にしてまでプリキュアとして闘わなければならなかったのかが見えてくるように思うのです。まあここでピンとこなくても、この先を読み進めてくだされば何となく僕が何を言いたいか見えてくると思うので、取り敢えず話していこうと思います。

 

(a)プリキュア前夜までの経緯

まずは、プリキュアが闘うに至ったストーリーを簡潔にまとめておこうと思います。

 

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1.ホープキングダムの人々の心の中に無意識的に存在する諦観レベルの小さな絶望が集積する

2.それがディスピアとして具現化し、肥大化を志向するためにさらなる絶望を求める

3.王女トワを手中に収め、ホープキングダムを滅ぼす

4.カナタは世界を救う希望をプリキュアに託す

5.全世界を絶望に陥れるためはるはるの世界へ侵食、障害となり得るプリキュアを殲滅しようとする

かくしてはるはる達はプリキュアとして闘うことを運命付けられたわけです。

 

(b)(a)の意味

上で述べた経緯がどのような意味を持つか考えようと思います。

ひとつ思うのは、1995年に起きた地下鉄サリン事件の発生経緯との類似性です。地下鉄サリン事件が起きた背景というのは、バブルが崩壊し長い不況の時代が到来する中で、前回も触れた「大きな物語」というものが失墜し、先行きが見えないことに対する不安が社会に充満、そうした不安を抱えた若者たちが、チープであるが故のわかりやすい超越性(宣伝ビデオ参照)を提示するカルト集団「オウム真理教」に誘引されていき、教祖・麻原彰晃に導かれるまま最終的にテロ行為を起こすに至ったというものでした。これは(a)で示したストーリーと似たものを感じます。オウム真理教が特別な政治的・宗教的理念も持たずしてテロを起こしたことの空虚さと、ディスピア(あるいはディスダーク)がただ自らに備わった成長システムに従う形で世界を絶望に陥れようとすることの空虚さ(*1)には多くの共通点があると思います。

大きな相違点は、『姫プリ』の場合はそれが世界を跨いだ動きとなっていることです。これは最近で言うと、むしろ中東、ヨーロッパの様々な国でテロ行為を行っているISIS(「イスラム国」)に似たものがあるのではないでしょうか。こちらもイスラームのテロ組織を名乗っている一方で、諸外国の退屈な日常に倦怠感や虚無感を抱く若者が刺激や変化を求めて参加を志願するケースが問題になっているという話も耳にします(北海道大学の学生にもそんな人がいた気がします)が、これもある種の空虚さを表していると言えます。

「イスラム国」に加わろうとした北海道大学の学生らを事情聴取 - ライブドアニュース

まさかプリキュアの記事でオウムの話が出てくるとは、とお思いになった方がいらっしゃるかもしれませんが、現代の思想・文化を語る上で、阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件が起こった1995年というのは、決して無視することのできない転換点であったというのが割とその界隈では一般的な認識だそうです(ちなみに同年10月4日にTV版エヴァの放送が開始されています)。

 

整理します。未来に対する不安が社会に充満してくると、そのような行き詰まった現状を打破する超越的な力を持った(ように見えるが実態としては空虚な)求心力が現れ(オウム、ISIS、SEALDs、etc...)、その「何とかして現状を打破したい」という鬱屈した空気は往々にして暴力的な行為(テロ、うるさいだけのデモ等)という形を持って発散されようとします。これが『姫プリ』の世界においてプリキュアが闘うべきディスピア(あるいはディスダーク)という存在なのだと考えることができると思います。

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尊師(?)

 

*1:ディスピアの存在が空虚であるという分析は、「何のために全世界を絶望に陥れるのか」という問いを発したことから導き出されたものです。ディスピアがこの行為を遂行しようとすることを合理的に説明しようとすれば、「そもそもそういう風に設計された存在である(本能的な振る舞い)」としか言いようが無いように思います。明確な行動理念を持たないが故に「空虚」だと評価したのです。

 

(c)プリキュアの役割

(a)、(b)でひとまず敵の役割を明らかにしたので、ようやくプリキュアの役割について考えることができるようになりました。それは、「リスク回避装置としてのプリキュア」というものです。しかし、このディスピアとの対立構造によって見いだされるプリキュアの役割は、その一側面に過ぎないのですが。

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第49話より。「夢のある所には必ず闇が生まれる」

 

ここでいうリスクとは紛れも無くディスピアのことを指しています。U・ベック『危険社会』チェルノブイリ原発事故(1986年)の衝撃を受けて書かれた論文ですが、これによれば、

近代が発展するにつれ富の社会的生産と平行して危険が社会的に生産されるようになる。貧困社会においては富の分配問題とそれをめぐる争いが存在した。危険社会ではこれに加えて次のような問題とそれをめぐる争いが発生する。つまり科学技術が危険を造り出してしまうという危険の生産の問題、そのような危険に該当するのは何かという危険の定義の問題、そしてこの危険がどのように分配されているかという危険の分配の問題である。(太字強調はブログ筆者による)

 と言われており、この論文に端を発する論理体系を「リスク社会論」と呼びます(「リスク」と「危険」は別の概念であり、原題は「RISKOGESELLSHAFT」となっていますが、邦題はなぜか『リスク社会』ではなく『危険社会』となっています)。わかりやすい例としては、重化学工業の発展と公害問題の発生と環境庁(現・環境省)発足という一連の流れをイメージされると良いと思います。ここではそれをやや拡大して「人為的行為が必然的に伴う危険」を「リスク」と呼ぶこととします。

何が言いたいかというと、ディスピアとは、人が「夢」を持つことを選択することによって必然的に生み出されるリスクである、ということです。そして一度生み出されたリスクは基本的に消滅することはなく、それ故にその分配が問題になるのですが、これが『姫プリ』中においては、最終的にカナタによってプリンセスプリキュアに託されることとなったわけです。プリキュアが「リスク回避装置」としての役目を負う側面を持っていると言ったのはこういうことです。

こうしたリスク回避装置は、現実の社会に置き換えてみれば、生活保護などの社会福祉制度であったり、心の病を和らげる精神科医臨床心理士のような職業がそれに当たると考えられます。ここへ来て、僕が一年前に提唱したプリキュア=精神科医」説がさらなる説得力を持って反復されることになるのです(プリキュア=精神科医」説については↓こちらの記事をご参照ください)。

honghuzhizhi.hatenablog.com

 

 

(d)なぜ彼女たちが選ばれたのか

『姫プリ』の世界にプリキュアがいなければならない理由については一つの答えを見出しましたが、それでもわからないのは、なぜプリキュアとして闘うのが彼女たち3人(途中からトワも加入)でなければならなかったのでしょうか。この問いについては、各キャラクターが異なる目的によってプリキュアになることを選択しているように思えるので、また場合分けして考えていこうと思います。

しかし、この項を書ききるためには文字数がかなり膨らんでしまうことが想像に難くないので、尻切れ蜻蛉ではありますが今回はここまでとさせていただきます。皆様も次回の更新までに自分なりの回答を用意しておいてくださると、よりこの記事の閲覧が有意義なものになると思いますので、お時間ございましたら何卒ご検討ください。

 

それでは、ごきげんよう。