なでかたジョンの雑記

元中国語学専攻の元同人作家兼元踊り手の、元も子もないブログです。

『透明のココロ』を読みました

お久しぶりです。なでかたジョンです。

この頃本業の中国語とニコ動視聴にお熱なので色々疎かになってます。

とはいえ、プリキュア考察記事もちゃんと随時更新していきますのでよろしくお願いします。

 

さて、今回は『メンヘラちゃん』の作者・琴葉とこ先生の最新作『透明のココロ』(秋田書店)を読んだので、その感想やらなんやらをつらつら書いていきたいと思います。割と主観的な内容になるかもしれません。

 

なぜ『透明のココロ』かというと、実は作者の琴葉とこ先生とちょっとしたお知り合いでして、新刊発売前に飲む機会があったのですが、その折に「次回作はドロドロしてますよー。スクールカーストとかも描いたので」と仰っていたので、社会学に興味がある身として、何かしらの知見を得ることができるかもしれないと期待して講読したわけです(サイン本で買ったあたり、我ながらちゃっかりしてると思いますが)。

 

この後で各話の感想を書いていくに当たって、先に総評を述べようと思うわけですが、実のところ、今、下の記事をある程度書き進めてから戻ってきて書き直しています。というのも、最初の印象では「これはほとんどただの2chまとめサイト的な『大学生あるある』漫画だ」と結論づけていたんですが、それぞれの話を深く掘り下げていくにあたって色々と示唆的な内容が見えてきたからです。典型的な「木を見て森を見ず」ってやつですね。お恥ずかしい。なので、改めて「大学生あるあるを描きつつ、少しずらした視点も導入したりする」漫画という位置づけにしようと思います。

 とはいえ、全面的な肯定に転じようとするつもりもありません。最初に感じた違和感や物足りなさについてもしっかり言及していく所存です。

一応簡単なあらすじは付けますが、「百聞は一見に如かず」ということで、僕の感想が妥当であるかどうか気になる人は、実際にお手にとって読んでみることをオススメします。また、書籍だけではなく「Champion タップ!」でも読むことができます。1話、3話は今のところ試し読みができるようです。よろしければ別タブで開いた上でこちらの記事をお読みください。

キーワード:ご都合主義、コミュ力ニンフォマニア、恋愛街道、ルサンチマン、セックスの相対化、大衆迎合主義、脱構築ー再構築


透明のココロ | Champion タップ!

 

 

第1話「フレンズ」


透明のココロ 第1話 フレンズ|Championタップ!

概要:1女(1年女子)で非モテ系の瑞歩が、同じく1女でちょっと大学デビューした感じの玲美に対してコンプレックスを抱いて疑心暗鬼になり、心無い言葉を吐いてしまう…

感想:終わり方がどうにも腑に落ちない、という感じです。瑞歩のご都合主義的なところも含めて「大学生あるある」なのでしょうか。「あんたどうせ私より大事な彼氏がいるんでしょ。そいつんとこ行けばいいじゃん」と言われた玲美が、その「裏切られた」感覚を引きづらないわけがないと思います。意中の相手にフラれたあとですし、「もう散々だよ!!」ってなると思うんですよね。

 なので、今後の軋轢を予想させるならまだしも、「今度化粧の仕方を教わろう」だけで和解を示唆して欲しくはなかったです。「大学生あるある」を描くにしても、そのマズいところまで容認するような描き方は、僕個人としては不満が残りました。

 あと、これはテクニカルなことなのですが、玲美が普通に可愛く描かれているため、書籍で言うp.8の「全然似合ってないもん」がちょっとわかりづらかったです。

 ◎大学食堂で「あーイチャイチャできる彼氏欲しいなー!!」と叫びだす女子大生(地味)は非常にロックだと思いました。地味で変でロックな女子大生。これぞまさしく「ジミヘンJD」というやつですね(オチた)

 

第2話「帰宅電車」

概要:コミュ障の1男・田中が、同じクラスの女子・坂口さんと一緒に帰る電車の中でどう接したらいいかわからずに悶々としたり自己嫌悪に陥ったりした結果、坂口さんの言葉で考えすぎだったと気づく

感想:コミュ障男子に救いがありすぎて逆に不安になりますが、「卑屈になっても良いことはない」というメッセージ的には良いと思いました。「コミュ力」について考え直す機会にもなるでしょう。あるいは、穿った見方をすれば「こうやって男を立てる女子はモテる!」というメッセージにもなるかもしれません。坂口さん可愛い。「別に…」って時の坂口さん可愛い。

 ただ、おそらく坂口さんは遠い実家まで一緒に帰る相手がいれば誰でもよかったと思われます。自分から一緒に帰ろうとしてる割にこれといって話を盛り上げるでもないし、たぶん異性としてはまったく意識していないと思います。しかし、田中はそれを好意だと勘違いして片想いを抱いて振られることになり、再び女性恐怖症というボーナス付きのコミュ障に戻るという未来がチラチラ顔を覗かせています。いや、多分僕も坂口さんみたいなタイプの女の子には実際惚れると思います。無自覚男たらし怖いでしょう…(男って本当にちょろいですね)

 閑話休題、『バージンコンプレックス』の時もそうですが、琴葉先生は男女を描くときにやたらと男子に甘い傾向があります。この第2話で言えば、女の子の側からの働きかけが多すぎると思います。坂口さんは寂しがり屋なんでしょうか。だとしたら悪い男に遊ばれないように気をつけて欲しいですね(老婆心)。

 そういうわけで、リアリティを出すにはもっと男女を対等に扱ったほうがいいんじゃないだろうかと思っておりますし、本人にお会いした時には言おうと思っています。お節介ながら、折角知り合ったからには良い漫画を描いて欲しいと思うのが人情ってもんじゃありませんか(これを書いていて思ったのですが、僕は琴葉先生に上野千鶴子になって欲しいと思っている節がありそうです)。

 しかし、大学生になった途端やたらと取り沙汰される「コミュ力」とか「コミュ障」というやつはまったくもって便利なマジックワードですね。僕は、大学生が言うところの「コミュ障」というのは、相手と意思疎通する能力の問題ではなく、その相手と意思疎通したいか否かという問題だと考えています。

 僕は日常生活の中でいくつかの集団に所属していますが、その中にも他のメンバーと意思疎通できるものとできないものとがあります。ある集団の中にいて、なぜ他のメンバーとうまく意思疎通できないか内省してみると、その集団のメンバーにあまり関心がないか、ある種の劣等感を感じているかということが根底にあると思います。

 なので、田中についても「コミュ障」というマジックワードを使うことで、クラス会に参加したくない本当の理由(クラスメイトに興味が無い)を見えなくしてしまっているんだと思います。話題さえあれば会話なんてものはいくらでも続くわけですから。そこへようやく興味を持てるクラスメイトが見つかったために、クラス会への参加を踏みきれたわけですね。田中は坂口さんとの関係を大事にしなければなりませんね。

 

第3話「ジョーカー」


透明のココロ 第3話 ジョーカー|Championタップ!

概要:小川って男が日ノ宮っていう清楚系メンヘラビッチを更正させようとしたっぽいけど結局喰われた

感想:この本の中ではかなり好きな方です。まず、日ノ宮の清楚系メンヘラビッチっぷりがよく絵で表現できていると思います。加えて、男の目線で書かれた話ですが、ビッチ(精神医学では『ニンフォマニア(色情症)』と呼びます)の深層心理にも上手く触れられていると思います。

 それは日ノ宮の「そうすればそうするほど さびしくなるの」というセリフによく表れていると思います。これについては、上野千鶴子の『スカートの下の劇場』(河出文庫、1992)の「ニンフォマニアー身体性への不安(p.153)」に詳しいので引用します。

ナルシスティックな自己像の価値を持続させるためには、そのつど異性の視線、他者からの性的にディザイアブルだという視線が担保されていないと不安でいられない、という症状があります。神経症の女の人で、ニンフォマニア(色情症)の人には特にそういう面があります。

(中略)ニンフォマニアの女性はたんに異常に性欲が強いからそうなるのではありません。彼女たちは自分自身に性欲があるかどうかもほんとうはわかっていないところがあります。ニンフォマニアの女性の多くが不感症だという説もあるぐらいです。そういう女性には、自己の身体性とか、自己の存在自身に対する不安感が基底にあって、性的な他者にそのつどディザイアブルだという保証をもらうことによって、自己の存在証明を得つづけていないと居たたまれない、という心理的なメカニズムがあるのです。

  つまり、こうした性質(メカニズム)を碌に理解せずにボス戦に臨んでしまったために、誘惑に抗えず小川はあえなく敗北したというわけです(合掌)。ちなみに、表紙絵の「キレイになりたい」はこういう観点からすれば嘘だということになります。

 ビッチとのセックスは、「需要と供給が上手にマッチングしててみんなハッピー」と考えがちですが、そもそもビッチに本来的な性欲があるのがが不正確である以上、そう楽観視はできませんね。(僕も他人事とは言えませんが)世のおちゃらけた男性諸君は考えを改めねばならないでしょう。そういう意味でもいいストーリーでした。

 

第4話「初恋」

概要:ウブな女の子・宮川萌の初恋の相手・好青年松島が実はクズ野郎だった

感想:やっぱオチがなー、という感じです。別にそこまでしてBAD END感出さなくても。これじゃ下手したら線路に飛び込みますよ、この子。あるいはひょっとしたらこれも逆説的な意図があるのでしょうか。とはいえ宮川さんは可愛い。金髪は僕には荷が重いですが。

 いわゆる「恋愛街道」的なものに上手く乗れなかった女の子の苦悩を描くことで、逆説的に「恋愛の王道」に対する批判や疑義を投げかけるというスタンスは、この本の第1話や『バージンコンプレックス』とも通底しているように、おそらく琴葉先生の中の大きなテーマのなのでしょう。だとすれば、その点についてはちゃんと表現できているんだろうと思います。

 あと、第3話の感想では「男に甘すぎる」と言いましたが、今回はいいゲス野郎が描けていて、とても良いと思いました。自分に好意を抱いているのを感じ取ってから行動に出る辺り、ちゃっかりしてますよね。

 ところで、言い方はともかく、「彼女と別れて寂しいから慰めてほしい」って言えばヤれるんですかねぇ。まあでも逆のパターンを考えれば、ない話でもない気がしますね。今は女の子もセックスしたい時代ですし。ただ、宮川さんが恋愛未経験者だったのは誤算だったでしょうね。その辺の性急さは、まだゲスになりきれてない証拠です。

 気になった点としては、重箱の隅をつつくようですが、教授の生徒に対する「もしかして恋煩いですか~(ハハハ)」というセクハラ発言は、松島が宮川の恋心に気づくポイントとしてはちょっとご都合すぎる気がします。ストーリーありき感が強いかと。だって実際やったら大顰蹙ですよね、コレ。ツイッターまとめサイトで炎上待ったなし(それは言いすぎか)

 更に矮小な話ですが、表紙の宮川さん、言うほど字が綺麗だとは(禁則事項

 

 で、僕が思うに、この話はハッピーエンドですよ。この話を読んで切ないと感じる人は、程度の差こそあれ「恋愛病」にかかっていると思います(強気)。初めての「恋愛」は失敗するべきです。その「恋愛」が愛と呼べるほどのものでない場合においては。こういうと変に思われるかもしれませんが、全ての大学生は、失敗するために「恋愛」を経験すべきです。それは、根拠の無い「恋愛」願望と早々に別れを告げて、より豊かな大学生活を送るためです。そしてフリーセックスは、セックスの価値を相対化することができている者のみに与えられる自由だと思います。

 

第5話「クラスカースト

概要:コミュ強吉田VSコミュ弱藤木

 →圧倒的コミュ強大勝利!「もうやめて、とっくに藤木のライフはゼロよ!」

感想:スクールカーストの話として読もうと思ったら満足のいくものにはなり得ないので、読み替えが必要だと思います。というのも、中高生の場合はクラス内カーストが文字通り死活問題となりますが、大学生は中高生よりずっと達観していて協調性が強い上に、クラスという枠組みの拘束力が遥かに弱くなっているので、クラス内における立場というものがそれほどの意味を持たないと考えるからです。あるのはただクラス内の関係に関心があるかないかという違いだけだと思います(ただ、自分以外のクラスや大学のサンプルが殆ど無いので、普遍性はよくわかりません)。

 で、どう読み替えるかってことなんですけれども…典型的な地味系卑屈女のしっかり系キラキラ女子に対するルサンチマンだよなあこれ…だって吉田の方に全然非がないんだもん…「藤木さんの言ってることよくわからないけど」の件がオーバーキルすぎて見てて辛いっす。琴葉先生マジストイック。

 というわけで、「ルサンチマン過多コミュ弱人間は死すべし」というありがたいお話ではあるけれども、藤木と吉田は本音でぶつかり合える良い関係になれそうだからハッピーエンドってことで。

 

第6話「先生、あのね」

概要:幼なじみおねショタマンセー

感想:「ジョーカー」と並んで好きな話です。理由はだいぶ異なりますが。おねショタ+オナニズム、いいじゃないですか…!

 まぁ、この話に関しては「大学生あるある」とは言いがたいですしねぇ。ひとつ言えるのは、旬平の「あいつと同じ高校に行きたいんだ」というセリフは聡子に致命傷を追わせただろうということですね。びっくりするほど大人です。一方で「家庭教師として、昔なじみとして旬平の受験を成功させたい」VS「高校受験に成功したら旬平と安田の関係は一層強固になるだろう」という葛藤に追い込まれた聡子の心境を推し量ると中々に辛いものがあります。この辺は流石としか言いようがありません。

 ただまあ、これも安易に「悲しい話」とラベリングする必要はないと思いますね。「恋愛あるある」ってところでしょうか。今回の場合は家族愛の延長のようなものを感じますし、恋愛関係にならなくても充足されるタイプの愛ではないかと思います。旬平という存在がオナニズムの領域にあるということは、それが性愛の対象として交換可能であるということも言えるのではないでしょうか。

 つまりここでもセックスの相対化が鍵となるんだろうと思いますが、セックスの相対化は実際に現実のセックスを経験しないと難しいですよね。

 まあ、妥当な着地点としては、現実世界では旬平とは健全な家族愛を充足させ、虚構の世界では無茶苦茶に犯すってところになるのではないでしょうか。性においては虚構のほうが現実より高い機能性を有していることを考えれば、ある意味理想的かと思います。

あ、余談ですが、p.156の1コマ目で、聡子のほくろが目に見えてギャグかと思いました。

 

第7話「さようなら終電」

概要:ワンチャンなど無い

感想:木村さんが天使。こんな女の子が友達に欲しい。

 というか、大学1年(恐らく)でこんなに大人な子がいるんでしょうか(1女=10代とは限りませんが)。彼女はどういう人生をたどってきたのでしょうか。色々と気になります。

 何がすごいって、藤原という酒の入った男子大学生を深夜に一人暮らしの家にあげることのリスク計算がしっかりできています。押し倒されることも、それを拒否できることも恐らく初めから計算のうちだったのでしょう。このことから、そこまで押しの強い男ではないことを知ってるくらいに木村は藤原と交友関係にあったのだろうと推測できます。藤原も家がどこにあるかを知っており、泊めてくれるよう交渉しようとしているわけですし、まあそこそこ仲はいいのでしょう。

 加えてすごいのは、彼女は「男子との友情」を築こうとしていることです。性愛の伴わないフレンドシップをです。そのために、押し倒されても冷静に拒否して無用な劣情を煽らず、翌朝には「酔ってたなら押し倒してもいいのか」と詰り、忘れ物のコンドームを全く気にしていない素振りで手渡すなどして、徹底的に藤原に対して安易な性衝動の滑稽さを自覚させようとします。非常に真摯だと思います。男性諸君はこの物語から是非女性に対する誠実さを学んで頂きたい。

 彼女がこのような思想に到るには、恐らくそれ以前に相当の紆余曲折があったはずです。性的暴行を経験したのかもしれません。彼女は今のところそれを窺わせる素振りは見せませんが、藤原が木村に対してより誠実に振る舞えるようになればきっと話してくれることでしょう。それでもなお男を嫌わない理由を。

 

 はい、こうして7話見てきたわけですが、なんだかんだ言って第1話と第5話を除いた5/7は、僕にとってためになる話だったと思いました(また、ここへきて「琴葉とこ先生は『いい話』が苦手である」という仮説も立ちました)。僕が初見の時にいかに表面的にしか読んでいなかったがよくわかりました。

 最後に考えたいのは、「この漫画は何がしたいのか」「この漫画は誰のために描かれたのか」ということです。まずはChampion タップ!の紹介文を引用してみましょう。

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 要は大学生&大学生活を経験した社会人向けってことですね。まあ実際それ以下の年代が読んでもちょっとイメージしづらい世界を描いていると思います。

 また、読んだ人はどういう感想を持ったのか、Twitterでワード検索をかけてみました。多かったのが「グサッと来る」「実際こういう子いた」「こういう経験したことある」「切ない」など、要するに「あるある」という類の感想でした。

 ネガティブな感想は(Twitterだし仕方ないという気もするけれど)あまり見かけなかったのですが、少数ながら「読んでも読まなくてもどうでもいい感じ」というものが見受けられました(僕も一読した時は同じ感想でした)

 つまり、読者としては、web上でパラパラっと読んで「あーわかる」とか「あ、うん、知ってる()」とかいう印象を受けて終わるのだと思います。読者の側としては単なる「大学生あるある漫画」として読んでいることがわかります。

 こういう大衆迎合的な内容を前面に押し出して売り込んでいくやり方は、個人的には好きではないですが、漫画にかぎらず書籍全般は手にとって読まれなければどうにもならないので、これはこれで「正しい」ことだと思っています。

 しかし、ただ大衆に迎合するだけでは意味がありません。大衆に迎合するような体裁を装いつつ、如何にそれ以上のメッセージ性を持たせることができるか。そこに漫画の価値があると思います。それが一番実現できているのが第3話だと思います。

 逆に、第5話が好評と聞くと複雑な気持ちになります。そこには恐らく「コミュ力」に対する無批判的な信奉が根強くあるのでしょう。

 個人的な見解としては、今作は「恋愛」「ビッチ」に関してはよく問題提起できていると思いますが、「コミュ力」に関しては消化不良だったのではないかと思います。「コミュ強ーコミュ弱」の二項対立を脱構築できていないという点において。

 結論としては、「この漫画は大学生や大卒者の共感を呼びつつも、その背景にある価値観の本質を問おうとするものである。そしてそれは、作中においてある程度達成はできているものの、一部では単なる大衆への迎合から脱しきれていないところもある」という風に言えるのではないかと思います。色んな意味で『バージンコンプレックス』の時より上手くなってると思います。こう言ってはなんですが、安心しました。

 その上で、今後の琴葉とこ先生に対する熱い要望ですが、まだヌルい

これからは更に読者の精神を完膚なきまでに粉々に叩きのめして(脱構築して)、その粉を再びより良いものへ作り直す(再構築する)ような形で新しい世界へ導いていって欲しいと思います。同世代でまだまだ若いので、きっとできるはずです。楽しみにしています。

 というわけで、琴葉とこ先生の更なる躍進を感じさせる『透明のココロ』、皆さんも是非読んでみてください。

 

P.S.『透明のココロ』というタイトル、琴葉先生の「セックスのことしか頭にないお前らのココロなんて透けて見えるぜ!!」というメッセージが読み取れるようで胸が熱くなります(考え過ぎでしょうか)。

 

上手くまとめられているかどうか自信はありませんが、とりあえずここらで締めようかなと思います。また何か思うところがあったら追記なり編集なりすると思います。

では、ごきげんよう。